選択肢の幅は広がっている
発達障害という概念がなかった昭和期・平成前期と比べると、発達障害(神経発達症群)の人の人生の選択肢の幅はかなり広くなっています。昭和期・平成前期は発達障害に対して理解がなかったために、どうしても「怠けている」「やる気がない」と思われてしまったり、必要なケアをどこからも受けられなかったのです。この時期の教育はマスプロ型で画一的なある意味「サラリーマンを育てる」教育で、そこからこぼれ落ちた人間を助ける仕組みはなかったのです。中学や高校は一つの学校で1学年で10クラス、一クラスに40-50人いるのは当たり前で、こぼれ落ちた人をケアする人的余裕もありませんでした。
昔の小学校では、給食費の出し忘れや、宿題の出し忘れをした生徒は、先生が黒板に名前を書かれ、出し終わるまで消しませんでした。「社会に出たら、きとんと物事をしない人間は信用されない。今のうちにしつけをしないと本人が苦労するのよ。だから今のうちに叱っておくのです」というのが当たり前でした。もちろん定型発達の人にとってはそれは正しい考えです。ただし、発達障害の人にとっては酷な話で、追跡調査をした結果、そのようにして育てられた昭和・平成前期の子供は大人になってみなニート、引きこもりになっていることがわかりました。今日本で何十万人(数え方によっては100万人以上)の40-60代の人たちがこのような状態になっています。御存知の通り、発達の人にこのような叱り方をしても無意味なのです。
昔に比べていろいろなケアを受けやすい
今では発達障害というくくりでの公的ケア、医療ケアを受けられるようになっていますし、場合によっては精神保健福祉手帳が出たり、障害年金が出るようになっています。大学においても障害学生センター等でケアしてもらうことは当然の権利としてもつことができるようになりましたし、就労移行支援サービスを受けることもできるようになりました。きちんと配慮してくれる小学校・中学校では、支援学級(育成学級)と普通学級の両属の形にさせてくれることで、学校の中で孤立しないようにするとともに、進学の可能性を残すことができるようにしてくれるようになっています。
一芸に秀でた人にもチャンスがある
また、昔の教育では、どうしても画一的な人間を育て優遇する教育だったので、一芸に秀でた人間を評価してうまく社会に取り込む仕組みがありませんでした。”のび太”は昭和の社会の中ではなかなか生きるのは難しいですが、現代ではなんとかなる可能性があります。よく言われることですが、のび太の特技のあやとりは、以前だと「それが何の役にたつの」と言われたものですが、現代ではYouTuberとして活躍することができるかもしれない、ということです。現代のツールを使えば、活躍できるチャンスが出てきたのです。
マスプロ型の環境にいて潰されるよりは、得意なことを伸ばすことに集中する。そのためには、理解のある学校に在籍したり、あるいは通信制高校などに籍を置くということができるようになりました。通信制高校の中には、週5登校でなく、週1くらいの登校であとは提出物はネットを通じて出すという選択をすることができるのもあります。登校が苦痛、あるいはすぐに疲れるというタイプも高校に”通う”ことができるようになっているのです。