京都の西部地域で家庭教師を行っております。主に発達障害のお子さんの家庭教師をしております。


イベントを避ける


イベントが苦痛になることも

 発達障害(神経発達症群)の人の中でも、ASD(自閉症スペクトラム障害)傾向の強い人にとっては、、小・中・高でのイベント、例えば、合唱祭や文化祭、運動会、遠足、卒業式の練習、等が負担になることがあります。

 単に大人数が苦手というだけでなく、他人と合わせる、一緒の目的を持つ、ということがしんどい、あるいは理解できないのです。

 よくあることなのですが、熱血タイプの先生で、「みんな一つになって、一つの目標を成し遂げる、その素晴らしさを知ってほしい。学生の間にしかできない。君たちの燃えるものを出し切ってほしい」と生徒たちが一つになって頑張って欲しいと、ハッパをかけるタイプの場合、ASDの人にとってはものすごい負担になります。一対一の関係ですら、相手と気持ちを合わせたりするのが難しいのに、「みんな」という抽象的なものと気持ちを合わせるというのは自閉症傾向の人にとっては、とてつもなくハードルが高い行為なのです。

 また、その先生が善意で言ってくれていて、そのことをASDの人がわかっていると、ASDの人は余計にしんどくなります。相手に対して「Noと言ってはいけない」と思っているタイプ、あるいはアサーションするのが苦手なタイプの人にとっては、「No」と言いたいのに、相手が善意だとわかっているので、うまく感情を消化できず、鬱や心身症という形ででてしまうことがあります。体の不調という形(心因性のぜんそく、アレルギー、腹痛、不眠)という形で出てしまうタイプの場合、保護者や支援者は何が問題なのか気がつくのに時間がかかってしまうことがよくあります。このようなタイプの場合は、保護者や支援者は、「無理にイベントに出なくてもいいよ」というメッセージを当事者に出していく必要があります。

連帯責任の学校

 理解のない学校に入ってしまうと思わぬ被害を受けてしまうことがあります。

 ある大阪の高校では学校の伝統として、生徒が必ずみんなその学校の伝統あるダンスあるいは体操をしなければならない、というのがありました。生徒は5人一組になって練習して、その5人一組はお互い助け合い、5人全員が完全にできるようになるまで帰れないというものでした。しかしASDタイプの人は協調動作が苦手です。どうしてもできず、他の4人はいつまでも終わらずに帰れなくなりました。ついに陰口を叩かれるようになりました。「こいつのせいで俺らは帰れないやん」「なんでこんな簡単なことできひんねん」。どんどん学校の中で居場所を失っていきました。

 学校のカウンセラーに相談しても全く相手にされず、「ウチの伝統ですので我慢してください」で終わり。

 ご存知の通り、体育会系の組織では、チーム全体の一体感を高めたり、全体の戦力を上げるために、一人のためにチームの他のメンバーが罰走したり、腕立て伏せをしたりして泥をかぶる文化がありますが、ASDの人には理解しろというのはかなり酷な話です。

中学高校は予行演習

 上記の人達は、変に無理して潰れてしまうくらいなら、学校のイベントには参加しない、あるいはうまく逃げることにしたほうがいいでしょう。ある精神科医の先生は、「このタイプの人は、中学・高校は予行演習。大学に入って初めて本人の本当の人生が始まる、と思ってください」とおっしゃっていました。

 大学に入ると、「クラス」という単位で行動しなくなる上、人と人のつながる密度が薄くなる、あるいは自分で選択できるようになります。また、自分の好きなことができるようなカリキュラムになりますし、自分の好きなことをしても誰も何も言いません。ようやく大学生で自分の人生が始まるのです。

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