伸ばすか、補うか
発達障害(神経発達症群)の人の中にはとびぬけた才能、能力がある人がいます。そのようなお子さんを持った保護者の方が悩むこととしては、
その才能を伸ばす方向でいくか、
それとも、
弱いところを補っていくか
というところだと思います。
周知の通り、昭和の時代はマスプロ型の全員同じ方向に均一な人間を育てる教育をしていたので、どちらかというと、「できないことをできるようにする」という教育が主流でした。
しかし、現代では、昭和のころに比べれば、多様なコース選択ができるようになり、やりたいことを実現するために、やりたくないことを無理にする必要は以前よりはなくなりました。京都の公立高校でも、清明高校はかなり融通が利くカリキュラムを組んでいます。
基本的にはできることを伸ばす
発達障害(神経発達症群)の人は基本的には、「できること」を伸ばしていく方がいいとは思います。発達障害(神経発達症群)の人はWISCなどでの結果で、能力のグラフがギザギザの山になることが多いです。ある分野は努力しなくてもできるが、ある分野はどんなに努力しても苦しいという落差が定型発達の人よりもずっと大きいので、変に挫折体験を与えてしまうのなら、苦手なことを避けたほうがいいかもしれません。また、こだわりが強い場合、苦手なことをさせてもどうしてもやらない、ということになることが多いです。
もし、そのお子さんが、その道の専門家レベルから見ても「すごい」というレベルの人なら、その道で生きていくことができるようになるように早くから動いてみて、その道に賭けてみるのもアリだと思います。その場合、勉強面の進歩を後回しにするというのも仕方がないと私は考えます。
基礎学力が必要な理由
ただし、「少し才能があるかな」という程度や、単に好き嫌いが大きいだけ、というくらいなら、少なくとも中学生くらいまでの勉強はきちんとできるようになったほうがいいでしょう。これには理由があります。
保険
仮に才能があったとしても、必ずその道で成功できるとは限りません。もしその世界で飯を食っていける状態になれればいいですが、そうならなかった場合、本人に何も残らない、という状態になってしまいます。そうはなってほしくないため、基本的な学力をつけさせることは「保険」になります。(ただ、ごく少数ですが、世の中には「退路を絶った」ほうが力を発揮できる人もいるのでなんともいえませんが・・・)
ある程度耐える経験が必要
人生何でもうまくいく、思い通りにいくことばかりではありません。つまらない、結果が出ない、というときでも、ある程度反復練習を繰り返していかないといけないことがあります。また、知識や技術は長い時間我慢しないと身につかないということを体で学習しないといけないときもあります。そのことは10代のときしかできないです。なんでも効率性、時短を求める時代にはなりましたが、それでも効率性を無視して繰り返さないといけないときがあります。
自分が何が嫌いか向いていないか知る
発達障害(神経発達症群)の人はおそらく定型発達の人よりも学校生活においても学習面においても、「私はこれが嫌いだ」という体験をすることが多いでしょう。そのときは嫌だということが多いでしょうが、人生において、「自分が何が嫌なのか」を知ることは、長い目で見ると「自分を知る」という点においてはむしろ有益になることがあります。(もちろんいじめられたり、トラウマになるくらいなら学校には行かないほうがいいのですが、そのあたりはさじ加減です)
基礎がないと将来できることが減る
発達障害(神経発達症群)の人はどうしても学習面や教科においても好き嫌いが大きくなりがちです。そのため弱いところを補うことをしたがらないのですが、将来の学習面でかなり困ったことになります。日本の公教育の学習プログラムは実はよく出来ていて、小・中・高と同じ分野をスパイラル式にくるくる回りながら理解を深めていくという構造をしています。そのため、基礎となるところが抜けてしまうと、どんどん将来的にはできることが減ってしまいます。ですから本当は苦手な分野もやり切ることが必要なのです。