京都の西部地域で家庭教師を行っております。主に発達障害のお子さんの家庭教師をしております。


発達障害の人が幼い(幼く見える)理由



発達障害(神経発達症)の人は、実年齢よりも幼い態度や行動をするときがあります。よくあるのが、

1,感情の起伏が大きかったり、急に感情的になる

 怒りや不安、喜びなどの感情が激しく出やすい、または抑えにくい → 感情を言葉で整理できず、行動に出やすくなることで「子どもっぽい」と捉えられることがあります。

感情の原因や他者との関係性が理解しにくいと、「泣く」「わめく」「逃げる」といった原始的な対応が出ることも

2,「こだわり」をわがままと捉えられる

こがわりが強く、常に自分のルーティンやお気に入りのモノに執着している様子が「子供っぽい」と取られます。

3,年齢に応じた立ち振舞いや社会的役割がわからない

年齢によって社会的役割が変わる、という暗黙の了解がわからないので、いつまで経っても子どものような態度を示したりします。立場によって人は行動や態度を変えるというのが理解できなかったりします。

いい年して、子どもに混じってプリキュアの会場にいるおじさんや、(失礼)それなりの歳なのに、ゴスロリファッションをしている女の人とかもいらっしゃいました。

ということが多々あるのですが、それらには本質的な問題が隠れていることがあります。


発達障害の人が幼く見える背景


1,経験から学ぶことができない、

発達障害のある人が実年齢よりも人間的に幼く見える理由のひとつとして、経験からの学習が定着しにくいという認知スタイルの特徴があります。一般的には、失敗や成功の経験を通じて「こうするとうまくいく」「これは避けた方がよい」などの抽象的な学びを蓄積していきます。しかし発達障害のある人は、状況を俯瞰したり、文脈からルールを抽出する力に課題がありやすく、体験を次の場面に応用することが難しい傾向があります。

例えば、過去に怒られた場面と似た状況でも「また同じことをしてしまう」ことがあり、周囲には「成長していない」「子どもっぽい」と映ることがあります。これは、本人が怠けているわけではなく、「感情・状況・行動の関連づけ」がうまくいかず、反省や振り返りが抽象化されないためです。

また、「〇〇のときは××しよう」といった一連の対処スキルが、スムーズに引き出されにくいこともあり、場当たり的・衝動的な行動が目立ちやすいのも要因のひとつです。その結果、経験による“精神的な成熟”が進みにくく、年齢に比べて「人間的に幼い」と認識されることにつながります。

自分の行動を振り返ることを習慣化したり、あるいはロールプレイとフィードバックで学んだりするとよいです。メタ認知能力を上げることが必要です。

2,感情面での分化・発達が遅れている

感情面での分化や発達が遅れている場合、発達障害のある人は感情を認識・整理・表現する能力が年齢相応に成熟していないことがあります。これは「嬉しい」「悲しい」といった基本感情を持っていても、それを場面に応じて調整したり、複雑な気持ちにラベルを貼る力が十分に育っていない状態です。

結果として、強い不快感を抱いた時に激しく怒ったり泣いたり、あるいは感情の切り替えが難しく長時間落ち込むなど、子どもらしい反応が実年齢を超えて続くことがあります。周囲からは「大人なのに幼い」「我慢ができない」などと誤解されやすく、本人にとっても自分の気持ちがコントロールできず戸惑いや自己肯定感の低下につながることも少なくありません。

また、自己認識(自分の内面を客観的に捉える力)や他者認識(相手の気持ちを想像する力)も未成熟なことが多く、社会的なやりとりでつまずきやすい要因になります。これは発達の「遅れ」ではなく「偏り」による非同期性の一部であり、適切な支援を通じて少しずつ育っていく領域でもあります。

自分の感情を自分で認知できていない、あるいはどのような感情なのかラベリングできていないことは結構あります。

3,発達領域ごとのアンバランスが理由

発達障害のある人にしばしば見られる「発達領域ごとのアンバランス(非同期性)」とは、知的・言語・運動・社会性・情動などの発達が均等に進まず、領域ごとに大きな差がある状態を指します。これは年齢に対する“全体的な成熟度”ではなく、どの能力がどのタイミングで伸びるかという発達のズレ(発達の凸凹)の問題です。

たとえば、言語能力が非常に高くて難解な言葉や理屈を理解できる一方で、感情表現が幼く、怒りや不安をうまく伝えられない人もいれば、絵や音楽など芸術的なセンスに優れながら、身体の協応運動(縄跳び・ボール投げなど)が苦手な人もいます。こうしたアンバランスさは周囲から見ると「ある面ではとても大人びているのに、別の面では驚くほど幼い」と感じられることがあり、その“ギャップ”が誤解や不適応の原因になることも少なくありません。

また、社会性や情動の発達が遅れていると、周囲の空気を読んだり他人の気持ちを推測することが苦手になり、「わがまま」「子どもっぽい」と評価されやすくなりますが、実際はその領域がまだ発達過程にあるだけであり、意図的な問題行動ではないケースが多いのです。

この非同期性は、本人の“苦手”を理解し、強みに合わせた環境調整や支援を行うことで、より自然な成長が促されます。つまり年齢ではなく、個々の発達領域に合わせた理解とアプローチが必要なのです。

特に、社会性や対人理解力などは、非常に個人差が大きく、ある歳から急に統合されて成長する人もいます。

高知能だが社会で困ってしまうタイプ

高知能だが精神年齢が低いために困難を感じる人の特徴としては、

社会にはいろんな視点がある

というのが読めない。そもそもそういうことがあるということ自体を推測できないというがあります。世の中には、
「仕事できる人」「仕事できない人」「モテる人」「モテない人」「営業マンはこう見ている」「お金持ちはこう見てる」「貧乏な人はこう見ている」「自信があるひとはこう見ている」「自信がない人」・・・・・といった何百ある視点があります。これら複眼的な視点がない人はかなり苦しいです。いわゆる学力「情報処理能力としての知能」と複眼的な視点をもつという能力は全然別です。
東大京大生であっても、結局せまい世界観、単一の視点で止まっている人はそのあとかなり厳しいです。知識はあっても現実の社会とつながっていないので、現実の社会の中で生かしていくのは難しいのです。高知能自閉型が生きづらくなっていくのがだいたいこの段階です。

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