京都の西部地域で家庭教師を行っております。主に発達障害のお子さんの家庭教師をしております。


葛飾北斎


発達障害だと思われる有名人3

日本を代表する浮世絵師の葛飾北斎が発達障害――とくに自閉スペクトラム症(ASD)やADHD――に近い特性を持っていたのではないか、というのは様々な逸話から言われています。まさに、天才と〇〇は紙一重という言葉を地で行ったような生涯でした。

葛飾北斎とは

葛飾北斎(1760–1849)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、世界的にも高く評価される日本美術の巨匠です。武蔵国本所(現在の東京都墨田区)に生まれ、若くして絵に興味を持ち、勝川春章に師事して絵師としての道を歩み始めました。画号を30回以上も変えながら、常に新しい表現を追求し続け、生涯で3万点以上の作品を残しました。代表作には『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、自然や人々の営みを大胆かつ繊細に描写。晩年には「画狂老人卍」と名乗り、死の直前まで筆を握り続けました。その革新的な構図と表現は、後の印象派や西洋美術にも大きな影響を与え、ジャポニスムの象徴的存在となりました。

葛飾北斎の具体的な逸話と行動

極端な生活習慣と環境へのこだわり

北斎は生涯で93回も引っ越しをしたとされます。理由は「部屋が散らかると片付けるより引っ越す方が早いから」。これは、片付けや空間管理が苦手なADHD的傾向や、感覚過敏による環境への強いこだわりを示唆します。

北斎は「食器を洗うのが面倒だから」という理由で、お茶碗を一つしか持たなかったと伝えられています。食事が終わるとそのまま放置し、次の食事の際には水で軽くすすいで使うだけ。これは、ADHD的な「実行機能の弱さ」や「面倒な作業への回避傾向」を示唆する逸話です。

過集中と驚異的な制作量

北斎は生涯で3万点以上の作品を残したとされ、90歳までほぼ毎日絵を描き続けました。とくに晩年には「あと5年命があれば、本当の絵描きになれたのに」と語ったほど、絵に対する探究心と没頭ぶりは異常なほどでした。これは、ADHDやASDに見られる「過集(hyperfocus)」の典型例と考えられます。

過集中は、ガウディと似ています。芸術家に多いですね。

対人関係の困難と孤立傾向

人付き合いを避け、金銭管理にも無頓着だった北斎は、周囲から「変人」と見られていました。師匠との対立や破門、晩年の質素な暮らしなども、ASDに見られる社会的距離感やこだわりの強さと関連づけられることがあります。

若い頃、勝川春章の門下に入った北斎は、兄弟子との関係が悪化し破門されています。その後も人付き合いが苦手で、金銭管理にも無頓着。弟子や周囲からは「気難しい変人」と見られていたようです。

自分ルールを作る・内的世界への没頭

 芸術家タイプの人に多いのですが、他人を当てにせずに、自分で試行錯誤しながら自分の生きるスタイルを自分で作ろうとします。また、内的世界に対する没入し、そこから普遍的なテーマ(自然・神話・宗教など)を通じて自己表現を試みるということを行うことが多いです。

自分ルールを作ることは他人から見ると、「奇人変人」と見られる行動をしてしまうのかもしれません。

  • 占いや仙人願望にハマり、茯苓(ぶくりょう)を飲んで女仙人になろうとした
  • 生魚をもらっても「調理が面倒」と他人に譲ってしまう
  • 娘・お栄(画号:応為)に対して、「アゴが出ている」という理由で「あぎ(腮)」と呼んでいた
  • 68歳のときに脳卒中(中風)を患ったが、自ら「柚子と酒」を使った薬を調合し、自力で回復したと記録されている
  • 「龍眼肉・白砂糖・焼酎」を壺に入れて60日間寝かせるという長寿薬のレシピを作る

などの様々な逸話に恵まれています。

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